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11 Jun

MANEKINEKO Lucky cat in Gotoku-ji Temple

豪徳寺の招き猫

MANEKINEKO Lucky cat in Gotoku-ji Temple
MANEKINEKO Lucky cat in Gotoku-ji Temple
MANEKINEKO Lucky cat in Gotoku-ji Temple

豪徳寺の招き猫

江戸時代、彦根藩第二代藩主の井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかった。そのとき、豪徳寺の門前にうずくまっていた一匹の猫が手を上げて彼らを招いた。そこで、井伊直孝は、しばらく休息したいと寺の和尚に申し出た。和尚は武士たちを寺に入れ、お茶などを差し出して、彼らに三世因果の説法を行った。武士たちはおいに喜び、それ以来、井伊直孝は豪徳寺に帰依し、豪徳寺は井伊家の菩提寺となった。 和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔った。後世になって、境内に招猫堂が建てられ、猫が片手を挙げている姿をかたどった招福猫児が作られるようになった。豪徳寺には、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児が眷属)を祀る「招猫殿」がある。招猫殿の横には、願い事がかなった人々が奉納した多くの招福猫児が奉納されている。

"MANEKINEKO" Lucky cat in Gotoku-ji Temple

Naotaka Ii, the second lord of the Hikone domain in the Edo period, passed the gate at Gotoku-ji Temple on the way back from a falconry. One cat which crouched down at the door front of Gotokuji raised a hand and caused them then. Therefore Naotaka Ii told the chief bonze of a temple of the temple to want to take a rest here. The chief bonze of a temple sent samurais to the temple and held out tea and preached teaching of Buddha to them. Samurais are pleased very much, and thereafter it is said that Naotaka Ii came to believe in Gotokuji. And the temple became the family temple of the Iis. The Ii family was an aide of the families to inherit the shogunate.

When this cat died, the chief bonze of a temple built a grave and condoled. It was coming ages, and a beckoning cat temple was built in the precincts, and "MANEKINEKO" which modelled the figure that a cat raised one hand came to be made. Beside beckoning cat, many "MANEKINEKO" which the people who had a wish realized dedicated as thanks is put.

山門 The main gate of a Buddhist temple

山門 The main gate of a Buddhist temple

仏殿 

仏殿 

MANEKINEKO Lucky cat in Gotoku-ji Temple
MANEKINEKO Lucky cat in Gotoku-ji Temple

東京都世田谷区豪徳寺二丁目 豪徳寺 仏殿 桁行(間口)五間(実長17.76m) 梁行(奥行)六間(実長15.82m) 寛文から延宝年間に井伊直孝の妻春光院とその娘掃雲院によって造営事業が進められた。仏殿は掃雲院が藩主直澄の菩提を弔うため延宝四年(1676)、建設に着手し、延宝五年(1677)に完成した。豪徳寺四世天極秀道の代で工匠星野市左衛門尉積則らが造営に当たった。当時流行した黄檗様式の影響が見られるとともに絵様肘木など特異な様式が使われている。 (世田谷区教育委員会立て看板より)

招猫殿 Temple to enshrine a cat

招猫殿 Temple to enshrine a cat

MANEKINEKO Lucky cat in Gotoku-ji Temple
MANEKINEKO

MANEKINEKO

MANEKINEKO Lucky cat in Gotoku-ji Temple
3重の塔 Triple tower

3重の塔 Triple tower

3重の塔にある彫刻

3重の塔にある彫刻

3重の塔にある彫刻

3重の塔にある彫刻

開祖堂 Initiator temple

開祖堂 Initiator temple

MANEKINEKO Lucky cat in Gotoku-ji Temple
彦根藩主井伊家墓所(豪徳寺井伊家墓所) Cemetery of the Hikone feudal lord Iis

彦根藩主井伊家墓所(豪徳寺井伊家墓所) Cemetery of the Hikone feudal lord Iis

MANEKINEKO Lucky cat in Gotoku-ji Temple

彦根藩主井伊家墓所(豪徳寺井伊家墓所)

井伊家は、遠江国井伊谷を中心に勢力を持った武士で、戦国期には今川氏の配下にあった。井伊家二十四世とされる直政は天正三年(1575)、十五歳で徳川家康に仕え、慶長五年(1600)の関ヶ原合戦においては、自ら先鋒を務め東軍の勝利に貢献した。合戦後、直政は近江国などに十八万石を与えられ、初代藩主として彦根藩の礎を築いた。続く二代直孝も大阪夏の陣で功績をあげ、近江国、下野国、武蔵国世田谷にあわせて三十万石を有する譜代大名の筆頭格となった。以後、幕末までこの家格は堅持され、藩主は江戸城溜間に控えて将軍に近侍し、時には大老職に就き幕府政治に参与した。 寛永十年(1633)頃、世田谷が井伊家所領となったのを機に、領内の弘徳院が菩提寺に取り立てられた。直孝の没後には、その法号「久昌院殿豪徳天英大居士」にちなみ豪徳寺と寺号を改め、以後、井伊家墓所として、江戸で亡くなった藩主や家族がここに葬られた。

墓所の北西角には、豪徳寺中興開基の直孝墓が位置し、そこから南西に直進したところに幕末の大老、十三代直弼(宗観院殿)墓がある。直弼墓に至る参道沿いには、藩主や藩主正室らの墓石が整然と並び、豪徳寺の伽藍造営に貢献した亀姫(掃雲院殿・直孝長女)墓がその中央西側に位置している。 墓所内で最も古い墓は、直時(広度院殿・直孝四男)のもので、万治元年(1658)に建てられた。直孝が没したのは万治二年で、どちらの墓石も唐破風笠付位牌型で造られている。以降、豪徳寺に所在する藩主、正室、世子、側室の墓石は、いずれもこの形式で建造された。 また、墓所の北側の一角には、早世した井伊家子息子女らの墓石に混じって、江戸で亡くなった藩主とその家族の墓石も据えられている。これらを合わせると、墓所に所在する墓石は三百基余になる。

彦根藩主井伊家墓所は、豪徳寺、清涼寺(滋賀県彦根市)、永源寺(滋賀県東近江市)の三ヶ寺にあり、歴代藩主とその一族の墓が網羅される。各墓所は、将軍家側近でもあった井伊家の姿を物語り、江戸時代の幕藩体制と大名文化を考える上で欠くことのできない貴重な遺産であるため、一括で「彦根藩主井伊家墓所」として平成二十年三月二十八日、国史跡に指定された。

(平成二十年三月 世田谷区教育委員会)

豪徳寺 Gotoku-ji Temple

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